「パックマンの父」逝く。
バンダイナムコホールディングスは同社最高顧問 中村雅哉氏が逝去したと発表。
元 株式会社ナムコ 代表取締役会長(現 弊社 最高顧問、株式会社バンダイナムコエンターテインメントおよび株式会社ナムコ 名誉相談役)の中村雅哉が去る1月22日(日)逝去いたしました(享年91歳)。
中略
昭和30年に中村雅哉により設立された「中村製作所」が現在のナムコの原点となります。横浜・伊勢佐木町の百貨店 松屋(当時)の屋上に電動木馬2台を設置することからスタートしたナムコは、中村のもと、アミューズメント施設やテーマパーク、業務用ゲーム機、家庭用ゲームソフトへと事業の領域を拡大しエンターテインメント企業として成長してきました。
中でも昭和55年に発売され世界中で大ヒットした「パックマン」は“最も成功した業務用ゲーム機”としてギネス世界記録にも認定され、中村は海外でも“Father of PAC-MAN”として広く親しまれています。また、中村はナムコの成長発展に尽力しただけでなく、様々な協会活動を通じて業界全体の発展、映像関連産業の発展にも尽力してきました。
http://www.bandainamco.co.jp/cgi-bin/releases/index.cgi/file/view/5616?entry_id=5145
ゲーム業界の伝説的な人物がこの世を去りました。
妖怪ウォッチのヒットの後にもエンタメ業界の移ろいやすい流行に
「変化に対応できるものだけが生き残れる」と引き締め、
マルチメディアコンテンツ振興協会(MMCA)の会長に就任した際には、コンテンツについて
「“人間は遊ぶ存在(ホモ・ルーデンス)である”との、ヨハン・ホイジンガの言葉のとおり、“人間は遊ぶために生まれてきた”と、私は考えています」とマルチメディアコンテンツの可能性を語っていました。