まだ昭和の香りが残る90年代初頭の記憶、黎明期の雰囲気を伝えるインタビュー
エピックソニーの創始者であり、SCE会長、SME社長を歴任したソニーの音楽分野の重鎮 丸山氏のインタビュー
Musicman's RELAY 第48回 丸山 茂雄氏 中略
--音楽からゲームとはすごい転身ですよね。丸山:いや、あまり転身という気分ではなかったです。一番最初のアイディアはスーパーファミコンの下にプレイステーションをくっつけて、CD-ROMを入れるとスーパーファミコンで遊べるというものだったんですよ。
--そういう発想が最初にあったんですか…。丸山:そ れで「そのソフトを丸さんやってくれないか?」というんで、引き受けたんですね。それで「何がいいかな?」と考えていたんですが、当時まだカラオケボック スがあまりなくて家庭用のカラオケというのが売れていたんですが、テイチクが全盛でソニーは弱かったので、「これでやれば」と考えたんです。スーパーファ ミコンは必ずテレビに繋がっているわけですから、そこにカラオケを入れれば「カラオケのマーケットを独占できる」という気になったわけです。
--それは画期的なアイディアですね。丸山:そ うでしょう? それでその準備をしていたら、
発表の直前まで行って任天堂にキャンセルされて、パーになってしまったんですね。それで「このまま撤退する か? それとも独自にゲーム機を開発するか?」という話になって、私は「絶対にゲーム機をやったほうがいい」と主張したんですね。次の時代はCD-ROM になるとわかっていましたし、私がやめたとしても、スーパーファミコンを使った家庭用カラオケを任天堂が独自でやるに決まっていると当時思ったんです。結 局任天堂はやりませんでしたが、撤退してその部分を他の誰かがやるんだから、ソニーがゲーム機をやるべきだと思ったんですよ。
--なるほど…。ということは丸山さんがいらっしゃらなかったら、プレイステーションは誕生していなかったということですね。丸山:それは絶対に生まれていませんよね。私が政治的な動きをしたのはその時だけです。その時は足を引っ張る人がたくさんいたんです。
--大賀さんはすぐには賛成してくれなかったんですか?丸山:内心は賛成してくれていたのかもしれませんが、反対する人がたくさんソニーの中にいましたからね。
--反対する理由はなんだったのですか?丸山:当時は任天堂全盛期じゃないですか? 簡単に言うと
ソニーが負けていい相手は、悔しいけど松下だけなんですよ。--つまりプライドの問題だったんですね。丸山:そう、プライドの問題。
任天堂などという京都の花札屋に万が一負けたらどうするんだ! ということですよ。おかしな話ですよね(笑)。
http://www.musicman-net.com/relay/48-6.html
巨大企業の力学といいますか、「真の敵は社内に居た!」みたいな話で面白い。
これは単純に任天堂を軽視しているのではなく、急伸する任天堂を一方で認めつつ歴史や規模の格で負けられない追われる側のジレンマだったり。
幻に終った「スーパーディスク」は確かに今日の任天堂を守ったとも言えるかもしれないし、私たちユーザーを分かつきっかけになったバベルの塔の破壊だったとも言えるかもしれません。
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