ソニーの代表的製品であるウォークマンの開発を手掛け、94年から96年まで副社長を務めた大曽根幸三氏が日経ビジネスオンラインのインタビューで任天堂との提携決裂を語っています。
ソニーがゲーム事業を起こす切っ掛けになった任天堂との交渉決裂の様子が当時の中心人物から公になる事態になっています。
後のプレステにつながる
ゲーム機は元々、任天堂に頼まれて開発していたんだ。それなのに任天堂が「やっぱりいらない」と言いだしたのが発端だよね。そのうえ、
「これまでの開発費も払わない」と言われちゃった。そんな理不尽なことあるかということで、「よし。じゃあ自分たちでやろう」ということになったんだ。もう売り言葉に買い言葉で、久夛良木と大賀さんが話をしてやることになった、という経緯があるから。そしてプレステが生まれた。
経緯はどうあれ、あの時、ゲーム機に参入したのは正解だった。当時、ゲーム機では任天堂が唯一、飛び抜けた存在だったよね。そういう状況では、ゲームのソフトを作る会社の大部分は任天堂の言いなりになるしかない。みんな忌々しいと思いつつも、圧倒的に強い立場の任天堂の言うことを聞くほかなかった。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/031800001/053000008/
あくまで元ソニーの人物の発言ですが2社の関係を振り返っています。
その後、任天堂はフィリップスと同様のCDROM搭載機の開発提携をしましたが、こちらも立ち消えになっています。
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