ソニー関係者からもう一つの証言。
元SME社長、元SCE会長を歴任した丸山茂雄氏が任天堂との提携決裂は「PSの父」久夛良木健氏が理由と取れる発言をしています。
プレイステーションの開発が始まる以前から、私はソニー・ミュージックで細々とゲームを制作していました。そこへ任天堂のスーパーファミコンへCD-ROMドライブを付ける企画を進めていた久夛良木が、ソフトの制作を依頼してきた。ソニーグループでゲームソフトを制作していたのは、私たちだけだったので。それが久夛良木との縁の始まりです。
ところが久夛良木があまりに強引な交渉をしたものだから、任天堂との提携が決裂してしまった。そこで久夛良木は独自にゲーム機を開発するべきだと主張したのですが、反対ばかりでした。
http://blogos.com/article/173875/
話題になっている関係者の証言ともまた違う発言で、非常に興味深い相違。
また丸山氏の話題には続きがありまして、
2013年に同様のSCE誕生を語ったインタビューではこう答えています。
--音楽からゲームとはすごい転身ですよね。
丸山:いや、あまり転身という気分ではなかったです。一番最初のアイディアはスーパーファミコンの下にプレイステーションをくっつけて、CD-ROMを入れるとスーパーファミコンで遊べるというものだったんですよ。
--そういう発想が最初にあったんですか…。
丸山:それで「そのソフトを丸さんやってくれないか?」というんで、引き受けたんですね。それで「何がいいかな?」と考えていたんですが、当時まだカラオケボック スがあまりなくて家庭用のカラオケというのが売れていたんですが、テイチクが全盛でソニーは弱かったので、「これでやれば」と考えたんです。スーパーファ ミコンは必ずテレビに繋がっているわけですから、そこにカラオケを入れれば「カラオケのマーケットを独占できる」という気になったわけです。
--それは画期的なアイディアですね。
丸山:そうでしょう? それでその準備をしていたら、
発表の直前まで行って任天堂にキャンセルされて、パーになってしまったんですね。それで「このまま撤退する か? それとも独自にゲーム機を開発するか?」という話になって、私は「絶対にゲーム機をやったほうがいい」と主張したんですね。次の時代はCD-ROM になるとわかっていましたし、私がやめたとしても、スーパーファミコンを使った家庭用カラオケを任天堂が独自でやるに決まっていると当時思ったんです。結 局任天堂はやりませんでしたが、撤退してその部分を他の誰かがやるんだから、ソニーがゲーム機をやるべきだと思ったんですよ。
http://www.musicman-net.com/relay/48-6.html
発言は記憶と共に変化し、記事になる瞬間にライターの思いも乗っかってしまう厄介なものなのかもしれません。
また単純に誰かが正しく、別の誰かが嘘をついていると割り切れるものでもありません。
歴史書家の苦労が少しだけわかった気がします。
証言。『革命』はこうして始まった プレイステーション革命とゲームの革命児たち (ビジネスファミ通)
赤川 良二 (著)
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