55年という短い時間を駆け抜けた岩田社長の人生を西田氏のクールな視点で総括
任天堂 岩田社長の早すぎる逝去を追悼して西田宗千佳氏が岩田氏の功績を分析しています。
以下ざっと概要
●カリスマプログラマーから経営者へ
・HAL研究所に勤務した岩田氏は数多の作品のプログラムに従事
・「バルーンファイト」のルーチンはマリオにも使用されたという
・00年には山内氏から経営者としての資質を買われて任天堂の社長に就任
・ゲームキューブのアーキ選定は岩田氏が任されていた
●ハード・ソフト両面で空前の成功
・DSは山内氏の2画面でという注文に、岩田氏がペンとタッチでブランドを作り上げたハード
・DSの手法を継承したWiiはモーションコントローラーで遊びを広げた,まさに
「岩田聡の作品」
・岩田氏の手法は、特徴的でシンプルなアップルの戦略に似て、2社は00年代の勝者
・またアップルとの違いはコンテンツを所有している事で、ハードソフトの両面でブランドを構築
●ソフト開発でつまずいた3DSとWiiU
・本来なら収穫期の段階でWiiが退潮、サードメーカーのヒットが薄いことが要因
・サードはモーションの機微を生かせず、強く振るだけのソフトで客に飽きられた
・3DSは3Dとモーションを特徴にしたハードだったがDSのような「今までにない体験」ではなかった
・WIiUは2画面とテレビ不要を打ち出したがこれも受け入れられなかった
・PCとの親和性が低いアーキテクチャも時代を読み違えている
・他社でも読み違えはあるものの、ソフトのリニューアルで改善していった
・一方で任天堂はハードのリニューアルで乗り切ろうとしたが、買い増しが必要なモデルは消費者には浸透しにくかった
・ネットワークサービスの不備もあった。これは天才技術者でもある岩田氏らしからぬミスだった
岩田氏は天才的なソフトウエアエンジニアであり,構想力もずば抜けている。一方,その下で働く開発チームは,全員が岩田氏ほど優秀ではない。
●「直接」情報を届ける開拓者
・ウェブメディアを活用したコミュニケーション戦略
・ゲームメディアの重要性と閉鎖性を十分に理解した岩田氏が「直接」出演する手法
・直接的な発信は多くのファンを生み、彼もゲームファンの代表になろうとしてた
・反面、ニンダイなどを見ない広いファンの姿を見えなくしていた弊害も
・岩田氏の「直接」の広報活動は最も特徴的な功績
岩田氏は,任天堂の社長として,ニンテンドーDSとWiiという空前のヒットを生み,その後苦しんだ。だが筆者は,そうしたこと以上に,「企業とファンのコミュニケーションの形を変えた」人物として,高く評価したいと考える。やはりこれは,ゲームが好きで,任天堂が好きだった彼にしかできなかったことだ。どこか彼の中で,もはや「仕事」ではない部分があったのではなかろうか。
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20150723140/
本当にジェットコースターのような波乱万丈で浮沈の激しい体験をした岩田氏。
天才的なプログラマーであり、Wii/DS最大の立役者である反面、
スマホ普及後に家庭用市場が急激に二極化する事が予見できなかった失敗も。
任天堂の伝統に則ったかのような強烈な他社disや度々あった変節に反して、部下や親交のある方々からの篤い信頼など相反する印象のある不思議な方。
厳しい判断を迫られるような経営者より、現場に近いタイプの方だったのかもしれません。
また1人のニンダイ視聴者としていまだに強い喪失感を味わっています。