和田洋一氏が自身のスクエニ時代を振り返っています。
以下超要約
・2000年着任時にスクウェアはプレイオンライン/デジキューブ/映画(ハワイスタジオ)など自己資金を大量に投入した収益見込みのない新規事業で酷い状況だった
・着任前後から社員の大量離脱は始まっていて「和田のせいで社員が辞めた」は事実無根
・改善策としてデジキューブは連結から外し、ハワイスタジオは閉鎖、POLはFF11に絞った
・坂口氏が日本に不在でその後離脱と開発のリーダー不在が長引いた
・改革の為に創業者の宮本氏に自身の社長就任を直訴 宮本氏の最初の答えは「君にはまだ早い」 その後押し切る形で就任
・次に成長戦略の段階でPS以外へのソフト供給、さらにグローバル展開を推進
・M&Aはエニックスからの打診で実現、タイトーはACやF2Pのノウハウ、Eidosは技術の取り込みなど各社と合併/買収
IP保有が潤沢な企業を候補にした
・その後00年代後半はEidosに粗製乱造を止めるよう入り、タイトーには3年社長を兼務、CESA会長や経団連役員も同時期にこなす
・10年にFF14と国内CSの失敗
誰のせいという話はすべきではないと思いますし、私が統括していても出来なかったかもしれませんが、色々起こったというのは事実です。
・当時、MMO/PCブラウザF2P/CSの3階建てで事業を区分
(収益構造を変えるためCS)についてはテーマに沿ったもの以外積極投資はしない。
・これらの失敗から10年代は構造改革をやり直し、MMOの復活とF2P事業は現場に入り教育し指揮、HD事業については当面主力以外を凍結した
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読み物としては非常に面白い内容。
氏が大変な苦労をされていることが分かる当時の混迷ぶりと、色々な部署に手を出して首が回らなくなっていく感じが伝わります。
「(F2Pの成功について)偶然は何一つなかった。」や「(F2P部門の今後は)環境変化への対応は教えていないので、そこは未知数です。」などの発言から自己肯定感の強い氏のキャラクターが鼻に付くことと、
結局「旧FF14が失敗し、その時CSで何が起こっていたのか」や「任天堂との和解で得たもの」など多くのゲームファンが気になる核心部分は触れられていないなど、
和田氏の印象を大きく変えるには至っていないのかも。